禁煙日記 その1「喫煙歴」

禁煙日記「喫煙歴」 ニコチン
禁煙日記「喫煙歴」

プロローグ

先日から禁煙を始めたのでその経緯と記録をつけておこうと思う。禁煙を開始するにあたって医師やカウンセラーから喫煙歴などを聞かれる機会も多かった。禁煙の指導をするにあたってこれまでの来歴を聞くのも重要なことだといっていた。しかし聞いたところで禁煙するのが困難そうだということしか分からなかったと思う。

医師にはただ喫煙の開始時期と喫煙量の推移、これまでの禁煙経験の有無しか伝えていない。だけどそのうち忘れそうなので自分のために詳しい記録も残しておくことにする。

喫煙までの道のり 〜小学生篇〜

喫煙を始めたのは小学生の頃だった。おそらく3年生くらいの頃だったと思う。当時、近所の悪ガキはみんな親父や爺さんのタバコを時折盗んではみんなに振る舞う習慣があった。今思えば箱ごと盗んだらよほど買いだめする家庭以外では親にバレていただろう。実際、親にバレて怒られたことも何度かあった。

現在の自分に置き換えて考えてみると盗まれていたら間違いなく気がつくだろう。当時はまだ喫煙者にとってタバコがどれだけ重要なものなのかわかっていなかった。そうやって盗んできたタバコをみんなで持ち寄り物陰や森の茂みなどに隠れて吸っていた。覚えていないだけでもっと幼い頃から吸っていたかもしれない。たまにしか吸う事がなかったので油断して思い切り肺に吸い込むとまだむせていた。

うちの父親が当時吸っていた銘柄はマイルドセブンライトだった。その前はマイルドセブンその前はセブンスターを吸っていた。体に悪いからと年々軽いタバコに変えていっていた。体に悪いのだったらやめろよと思っていたし、父親に対して禁煙しろと繰り返し言っていた。父親は周囲の人間がいくらやめろと言っても61歳で死ぬまで結局タバコを吸うのをやめることはなかった。

その後、少しずつ私のタバコを吸う量は増えていった。それでも1日に数本だけで、タバコが美味しいとか、どうしても吸いたいという気持ちになることもなかった。時々隠れて買っていたが多い時でも1箱で1週間はもっていた。購入する銘柄もバラバラだったがきついタバコはむせるのでライトとかマイルドと名前に付くものを買っていた。

喫煙の道のり 〜中学生篇〜

中学1年生の夏休みくらいから悪友が増えてきてタバコを吸う機会が増えた。なんてよく聞くような言い方をしてみたが、友達は増えたがメンツは大きく変わっていなかった。それより先輩の影響が大きかった。考えてみれば先輩というか幼稚園の頃からよく遊んでくれいた年上の遊び仲間たちもみんな中学に入ると煙草を吸っていた。だから中学生になったら煙草を吸うものだと幼心に焼き付けられていたのかもしれない。

地域的なものもあったのかもしれないが当時はみんなそうだったように記憶している。ヤンキー全盛で暴走族も多かった。中学に行ってもヤンキーが多くて真面目なやつでも髪はセットしていた。思い返すと今の子達から見るとほとんどみんながヤンキーじゃないかと思ってしまうような感じでもあった。ウチの近所に煙草を吸わない男子中学生はいなかった。女子は吸わない子が多かったが一部吸っている子もいた。中学校の先輩後輩は一学年違うだけで大きく違う印象だった。大人と子供くらいに違って感じた。その先輩達も喫煙者が多かった。髪型や髪の色、学生服の違反などもみんな好き放題やっていた。そしてどこへ行っても必ずタバコをせびるせこい先輩が数人はいた。

私は、その頃から自分でもタバコの購入をはじめた。銘柄はパッケージで選んでマルボロ。お金がある時はマルボロを吸っていたがお金がなくなるとセブンスター、もっと困ってくればハイライトといった感じだった。お金がないときは友人とタバコの貸し借りをしていた。1本貸しておいてなどとのやりとりが頻繁にあった。そして自分が購入した際には返すのだ。これは大人でもやるので面白い。喫煙者の仁義なのかもしれない。タバコ1本分の単価のお金を借りることはない。値上がりした現在でも1本あたり十五円程度だ。しかしタバコ1本となると急に価値が上がる。中毒性があるものの特性かもしれない。まだまだ購入するタバコに決まった銘柄はなくて色々なタバコを吸っていた。運動をよくするときは軽いタバコに変えたりもしていた。

私には3歳年下の弟がいて幼い頃から遊びに行く時はいつもついてきていた。流石に中学生と小学生となった頃には放課後一緒に遊ぶ機会は減っていたが、部屋は一緒だったし時には遊びに行く時についてきたりもしていた。その弟は私と同じタイミングで喫煙を始めていたので全て私より3年先に始めていたことになる。

中学校の中での喫煙場所といえば体育館の裏が定番だ。あとはどこの部室も裏は喫煙場所になっていた。その時期の喫煙量は2〜3日に1箱くらいだった。節約したら1箱で3日くらいまでは耐えられていた。だけど徐々に1日の喫煙量が増えていき2年に上がる頃には1日1箱のペースになっていた。

その頃になって学生服に隠しやすいのでショートホープを吸いはじめた。お金があるときはマルボロも買っていた。当時から洋楽にハマっていて外国人のミュージシャンはマルボロが多かったのが理由だ。特にマルボロが写っているスラッシュの写真がかっこよかった。キースがジャックダニエルをラッパ飲みしながら登場してギターのヘッド部分に煙草を挟んで演奏する姿もカッコよかった。これはクラプトンとかもやっていた。FⅠもバイクのワールドGPもマルボロカラーが強かった。他にもキャメル、ラッキーストライク、J P Sなどタバコメーカーのスポンサーが盛りだくさんだった。今では考えられないが、当時はレース業界やスポーツ業界で一番大きなスポンサー枠を取ってお金を出していたのはタバコメーカーだった。


喫煙の道のり 〜高学生篇〜

そのうちタバコの本数は少しずつ増えてきて1日1箱半くらいになっていた。しかしお金がないときは長いタバコの方が得だと思ってセブンスターにしていた。高校に上がっても1年生の前半くらいまではセブンスターだった。その後、従兄弟の影響でピースライトを吸いはじめ半年くらいは吸っていたが軽くて量が増えすぎるのでピースにしたが逆にキツすぎるので再びセブンスターに戻った。高校1年生の最後くらいからはほんの一時期だけ軽くしようと思いマルボロメンソールを吸った時期もあったが結局は巡り巡ってショートホープに戻った。この頃になると開き直ってしまいあまり隠れず喫煙をするようになってきていた。通学中にくわえタバコで歩いているところを教員に見つかり停学にもなった。16歳の時に高校を休学して青果市場でバイトを始めた初日がいきなり夜勤で徹夜だった。初めての職場だったのでタバコをあまり吸いに行けず6時間くらい我慢してやっとひと段落ついたので自転車で移動しながらタバコに火をつけて一服したら頭がクラっとして転んだ。久々にタバコは体に悪いのだと実感した日だった。


喫煙の道のり 〜社会人篇〜

喫煙量は16歳から18歳くらいまでは2箱(ショートホープで4箱)だった。高校を途中でやめたので社会人になるのが普通より早かった。16歳から働いていたのでタバコを買うお金はあるし喫煙を咎める人もいなかった。それから40本より減ったことはないが多くて50本くらいのまで間で増減を繰り返しながら20歳位くらいまでは安定していた。

20歳を過ぎてから1日60本が平均になった。現場仕事からテレビの仕事に転職したのが影響したのかもしれない。それから後もずっとショートホープを吸っていたが、30歳くらいの時からたまに手巻きのタバコも吸うようになった。手巻きは燃焼促進剤や添加物が入っていないので長持ちするし金額も安く抑えられるので良いのだが直接葉っぱが口に入るのがちょっと嫌なのと指が普通のタバコよりもっとヤニで染まる。巻くのも面倒なので時々しか吸わなくなってしまった。そして45歳くらいになってから特に意識はしていないが少しだけタバコの量が減った。1日50本くらいになった。2023年2月まではこんなペースで喫煙していた。

これまで24時間を超える禁煙をした事は数回しかない。42歳の頃にチャンピックスという禁煙薬が話題になり始め主治医に勧められて試してみることにした。その時、禁煙する気持ちもあまりなかったのだが、やめられたらラッキーくらいの考えで何となく薬の服用を始めた。薬の服用を始めたら1日の喫煙本数が若干は減った。しかし副作用で気分が悪くなるので3日くらいで薬をやめてしまった。結局、チャンピックスの服用では1日も禁煙できなかった。これまでに禁煙ができた日を数えてみた。骨折手術の前夜から手術翌日まで。心臓手術の当日からICUを出て一般病棟に戻るまでの3〜4日間が2度。中学1年生の夏から46歳の今までたったの7〜8日間しか禁煙したことがない。良い悪いは別として連続記録という意味では案外すごいと思う。タバコをやめない意思、吸い続ける意思は強かった。といえば聞こえは良いがどうにもこうにも我慢ができなかっただけだ。

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